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奥地圭子さんからの返事

2005年05月20日 16時32分50秒 | 不登校
 奥地圭子さんからお返事が来た。

 あたたかみと誠意のある手紙に嬉しくなってしまった。わたしのような「落ちこぼれ」にもちゃんと十数枚の便箋に書いた手紙をくださるとは、すばらしい行為だと思う。これだけでも、シュ-レがエリ-ト主義だとの指摘は事実誤認だと分かる。そう、草の根民主主義、それも大人と子どもとの民主主義のあるところなのだ。(人のやることだけに決して完璧ではないとしても。シュ-レの人たちは神じゃない。)

 ただし、気になったところもある。以前シュ-レのミ-ティングにゲスト参加したときに、何人かの子どもたちが「奥地さんも元・教師だから、そういうことを言ってもわからない」といったようなことを語っていたのを思い出してしまった。
 
 何というのか。世代の違いなのだろうか、ホンネで話をできない部分があるのだ。
 言いにくいのだが、親の会や東京シュ-レもそれなりに歴史・伝統のある組織になってしまった。なので、個々人が複雑微妙な考えや感情が出しにくい場所になってしまったようで、悲しいことだ。
 
 まだ小さな雑居ビルの一室で、玄関には子どもたちの靴があふれ出るような手作りの溜まり場感覚でやっていたころのシュ-レとは違って、今では独立した立派な建物がいくつもできた。NPO新聞社や成人教育の部署も作った。
 中小零細企業みたいだった時期のように、奥地さん一人の影響力や信用だけでやっていくのは難しくなっているのかもしれない。もう少しシステマチックに合理的にやったほうがいいのだろう。そうすると、いっしょに作り上げる気風は失なわれる。官僚的になると、観念的に冷たく退屈になりがちで、そうすると小さな子どもや若い世代にとってはなじみにくくなると思う。
 それでも奥地さんは優れたコ-ディネイタ-でファシリテ-タ-だと思う。ただ単に子どもが登校拒否または不登校だというだけで他に何の共通点もない親の全国ネットワ-クを長年にわたってまとめる、それだけでも大したものだ。そのうえ、文部科学省と世間からうろんな目で見られるフリ-スク-ルを30年も運営しつづけてきたのだから。これは、並大抵の能力や志でこなせることではない。コネだけでも、派閥政治だけでもやっていけない。

 一部には奥地さんを「独裁者」扱いする声もある。それは誤解だ。奥地さんがあまりにも熱心で優秀で力強いから、周りは抵抗できない。それだけのことだ。「徳のある人は孤立しない」と論語にある。まさに奥地さんはそういった意味で得の人だ。この「徳」というのは、道徳だけではなく、学問・技芸なども含む。こうした彼女の徳が、人々をひきつけ、多数の理解者・協力者を生んできたのだろう。

 ブログ・掲示板を見渡すと、「シュ-レ VS 貴戸」といった図式もある。これは当たらない。奥地さんは貴戸さんと対立する気などさらさらないのだ。ただ、独自のメッセ-ジの送り方をしたのだ。これは名人芸の域に達している。初心者がまねても何をしているか分からなくなってしまう。能に「身七分、心十分」という言葉がある。7の動作をもって10の内面を表現するという意味だ。奥地さんは見事にそれをやってのけた。あの二百数十箇所にわたる削除・修正欲求リストは、実は交渉のための作戦だったようだ。

 それでもなお、釈然としないものが残る。こんなやり口では、傍から見ればいじめ・イビリではないのか? 少なくとも半分程度はそういう風に見える。別に集団による抗議だから依存だとか、政治的だとかは言わない。人には結社・団結する権利があるからだ。
 だからといって、もしも自分たち自身を相対化しないで、一方的に貴戸さんだけを責めたのだとしたら、単なる感情的な復讐の域を出なかったのではないか? もう少し、貴戸さんの意見の妥当性を部分的にせよ認めてあげてもよかったのではないか? そのうえでの批判であれば、もっとよい関係が築けたのではないだろうか?

 貴戸理恵さんは、わたしにとっては突如名乗りをあげた異母姉妹のようで、最初は戸惑った。しかし、彼女なりの登校と不登校の話を読むにつれ、こういった人の声もまた無視してはならないと考えるようになった。(今の彼女のお師匠さんがいわくつきであることはまた別の話になる。)
 もちろん、わたしはわたしなりに彼女への異論も疑問も批判もある。
 それにしてもシュ-レにはもう少し別のやり方で批判してほしかった。
 たとえば、貴戸さんとシュ-レの双方がパネリストとして出演するシンポジウムをやる、というのはどうだろう。共著で主張を並べて載せたり、座談会を掲載するのもいい。あるいは貴戸本に異論・反論のある人たちのアンソロジ-を上梓する。
 もっと登校と不登校の多様性を尊重しあい、そのことによって「学校に行くも地獄、行かぬも地獄」の学校化社会を--子ども時代の総動員を--浮き彫りにする作業ができなかったことは悔やまれる。

 今の自分は、東京シュ-レと奥地圭子も、貴戸理恵も双方を支持したい。両方ともを自分の兄弟姉妹のように感じている。ふたつの声を大切に見守ってゆきたい。
 
 
 
 
 

1 コメント

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シューレについて (てりい)
2005-10-25 20:41:12
はじめまして。

子供がシューレに行って8年になります。

奥地さんの名で検索したらたまたま出てきました。

東京シューレや親の会が歴史伝統のある組織になったという部分にびっくりしました。



私は一度もそう思ったことはないし、ミーティングの

子供のことばも、そのまま鵜呑みにしていいのかなーと思います。

独裁者というのはいったい誰が言った言葉なのか。

私は一人の親としてずいぶんシューレには言いたいことを言ってきたと思っています。

それを否定されたり説教されたりということは一度もありませんでした。



東十条時代をご存知ということは古くからシューレを知っていらっしゃるんですか?